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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)1845号 判決

原告

中野美術印刷株式会社

代理人

小林貞五

被告

児山守夫

外一名

代理人

吉永多賀誠

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一(事故の発生)

請求原因第一項の事実は当事者間に争いがない。

二(訴外鈴木の傷害の部位・程度)

〈証拠〉によれば、訴外鈴木とみ子は、本件事故により、原告主張の傷害を受け、昭和大学病院に昭和四二年一一月一一日一回通院し、さらに吉田胃腸外科医院に同月一七日から翌四三年三月二〇日まで一二五日間入院したほか、東京慈恵会医科大学付属病院に同年四月四日から翌四四年二月二八日まで通院してそれぞれ治療を受けたことが認められる。

三(原告に生じた損害)

〈証拠〉によれば、訴外鈴木とみ子および訴外株式会社よしみ屋は本件事故にり、原告主張の各損害を受け、原告は自賠法三条ならびに民法七一五条一項に基づきその賠償責任を負担したこと等により、その主張のとおりの金額の支出を余儀なくされ、うち人損分につき自賠責保険金による五〇万円の填補を受けたがなお、合計一一五万五四八六円の損害を蒙つたことが認められる。

四(被告らの責任原因)

(一)  被告児山

請求原因第四項(一)の事実は当事者間に争いがなく、従つて、同被告は、特段の事情のない限り、原告の業務執行中、過失によつて生ぜしめた原告の前記損害を賠償すべき責任があるというべきであるが、本件においては、次の事情から、原告会社は被告児山に対し右責任を追求することは許されないものと考える。

〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

1  被告児山は、郷里茨城県立江戸崎高校を卒業直後の昭和四二年四月上京して原告のもとに入社したものである。給与は本件事故時において月額一万九〇〇〇円であつた(この点は当事者間に争いない)。それに先立つ昭和四一年七月ころ原告会社において採用試験が行われたがその際、入社までに普通自動車運転免許を取得するよう注意された。児山は昭和四二年四月下旬、郷里において軽自動車用の運転免許を取得した。

2  原告会社は、従業員約四〇名の印刷会社であつて、営業・発送・印刷の三部門に分れ、業務のため約七台の自動車を使用している。

3  被告児山は、入社当初の二ないし三か月間は工員見習いとして勤務した後、営業部に配属され、得意先廻り、請求書の発行、印刷物配達の手伝い等の仕事に従事していたが、商品の自動車による運搬は営業部の担当でない関係上、会社外に出張する際に会社の自動車を自ら運転する機会はなく、また被告児山は自己の自動車を所有していない関係上、免許を取得して入社した後事故当日までの六月余の期間、自動車を業務の内外を問わず路上で運転したことはなく、本件事故は上京後初めての運転によるものであつた。従つて、東京都内における自動車路上運転はもとより経験がなかつた。

4  自動車による配達は一般に発送部門の運転担当者が当ることになつていたが、事故当日、被告児山は、担当得意先であつた明治乳業株式会社へ出向こうとしたところ、発送部門の担当者山桐からたまたま発送部所属の運転担当者が出払つていたので、ついでに被告児山において原告会社の自動車を運転してみかん箱五個分程度の分量の荷物を同社に配達するようにと指示され、東京都内の路上を運転する自信に乏しかつたが、やむなくこれに従つて単独で本件加害車に乗務し、荷物を同社に届け、用務を達して帰る途中本件事故が発生した。右指示に際し右山桐は被告児山の運転経験や運転能力を確認するなどの措置をとつていない。

5  本件事故は、被告児山が加害車を運転して時速三〇ないし四〇粁で被害車に追随進行中、被害車が交差点で赤信号のため停止したところ、前車の急停車に気づいてハンドルを右に切つて避けようとしたがこれに対応する措置をとるのが必ずしも敏速でなかつたため、及ばず、追突したものである。

6  被告児山は、本件事故後なお一年余の間原告方に勤務したが、本件事故のため原告代表者らからつらく当られたため、原告方を退職した。

7  原告は本件加害車につき、損害填補のための任意保険に加入することなく、また、被告児山に対してとくに自動車の運転訓練を実施したこともない。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

以上のとおり、被告児山は、普段は原告会社の自動車を運転するような業務を担当してはいなかつたのである。本件事故は、発送部における自動車担当者がたまたま不在であつたところから児山は臨時にその仕事を命ぜられたものにすぎない。しかも被告児山は、軽自動車運転の免許をとつたとはいうものの、いわゆるペーパードライバーであつて、東京都内の運転などは一度も経験しない初心者であり、もし被告児山の自由な意思でこの運転をするかどうかをきめることができるのであれば、躊躇することなく運転することを避けたであろう。それが他の部門の上司から人手が足りないからとて臨時の手伝を依頼され、軽自動車の運転免許を有していないわけではない関係上これを断りきれなかつたのであろう。そして、本件事故は、被告児山のような初心者にありがちな過失によるものである。決して無謀な運転をしたわけではない。

いうまでもないことながら、自動車の路上運転は被告児山の経済状態では到底負担し切れない程の大きな損害賠償責任を負担する危険を伴う行為である。通常はこれを自動車損害賠償責任保険に加入することによつてその負担をカバーするのである。しかし、被告児山のようにペーパードライバーであつて、通常自動車を運転するなどということを予想していなかつた者は、その用意をしていないのはあたりまえのことである。一方、原告会社は、その従業員に、ことに被告児山のように自動車の運転を業としない未熟者にさえ臨時に原告会社の自動車の運転を命ずることを予定するのであれば、事故の発生に備えてしかるべき額の自動車損害賠償責任保険(任意保険)に加入し、損害をカバーする措置をとるべきであろう。本件において、もし原告会社がその措置をとつていたならば、結局において原告会社は損害を受けなかつたことになるから、本訴のように被告児山に対し求償することはなかつたのである。この場合、保険料は原告会社が負担することになる。しかし、それは、自動車を営業上使用することによつて受ける利益によつて賄われるものである。原告会社の態度は、その失費を惜しみ、その結果招来された損害をわずか月給一万九〇〇〇円の従業員である被告児山の負担において償なおうとするものであつて、民法七一五条三項によつて許された求償権行使の趣旨を逸脱したものといわなければならない。原告会社の運転担当社員が無謀な運転をして原告会社に不測の損害をかけた場合ならばいざしらず、被告児山のような運転の初心者に、その担当の職務でないのにかかわらず臨時に原告会社の自動車の運転を命じ、その結果損害が生じたときは、その損害を被告児山に負担させて原告会社の負担を免れようとすることは、何としても許されないと解さざるを得ない。このような措置の結果は、原告会社自らこれを刈り取るべきものである。これが社会の条理というべきものであろう。

原告会社は、被告児山の採用にあたつては自動車運転の免許をとることを条件としたと強調する。それは、被告児山が運転担当者として採用されたものでない以上、本件のような運転手の人手の足りない時に臨時に原告会社の自動車を運転して貰える便宜を考えたからであることは推察に難くない。しかしそうであるからといつて、それは本件のような被告児山の使い方をして、起るべくして起つた結果まで原告会社の負担を免れうることの口実になるものではない。従つて、本件事案においては、原告の被告児山に対する求償は理由がないというべきである。

(二)  被告東

次に、前記のとおり、被告児山につき、損害の賠償義務が否定される以上、身元保証人たる被告東については、その余の点につき判断するまでもなく、原告の請求は理由がない。

五(結論)

以上の次第で、原告の被告らに対する本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条に従い、主文のとおり判決する。

(坂井芳雄 浜崎恭生 鷺岡康雄)

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